大学の時の他愛もないことを思い出した
先日大阪のボルダリングジムへいくと
新しいスタッフバイトの男の子が入っていて、話を聞いていたら
なんと我が母校の大学の2回生だという。
驚き色々と話をしていると、昔の他愛もないことをなんだかたくさん思い出しました。
その他愛もない話のひとつですが、
大学一回生、入学してすぐだった頃のこと
授業の最初の課題が、石膏で彫像を彫る課題でした。(芸術大学だったのでそのような課題)
↑のような長方体の石膏の塊を渡され、
石膏用の彫刻刀で石膏を彫る。
そしてモチーフは、生徒同士二人で組んで
お互いの顔をモチーフに彫像を彫る、という主旨のものであった。
私は留学生の「チェさん」という人の顔を彫ることになりました。
一見すると立体である彫刻を彫るという行為は、
昨今の3Dプリンタの影響もあり、平面に絵を描く行為と較べ
二次元 < 三次元
というふうに、三次元彫刻の方がより複雑高度な技術だと思いがちですが
もともと現実世界は三次元なのであって
三次元のものを二次元のキャンバスの上に、また頭の中で三次元に変換し直して描く「絵」とくらべ、
三次元のものを素直に三次元で表現する彫刻の方が、実は容易であると言われています。
そういった理由から、デッサンの基礎ができている人は、彫刻も上手だと言われています。
それで私なんですが、デッサンの基礎
ぜんぜん出来ていない。
結果
モアイの様な、
アンコールワットとかに置いてあるやつの様な
そんな様な彫像が出来上がった。
そしてこういった授業には最後、先生から講評があります。
生徒の彫った作品をずらっと並べて、それで一点一点
「君の作品は…」てな具合に講評してもらう。
それで、変な彫像が出来たもんだから、他の上手に彫られた彫像と並べられて講評されてっていうのが、自分にはものすごく恥ずかしかったんですよね。
(いま思えば自意識過剰なんですけども)
彫った作品はもちろん生徒が自分で持って帰るんですが
そんな訳で私はこの自分が彫った「チェさん」に対して、愛着を感じるどころか、恥ずかしいものだ、と思ったんですよ。
そこで家に帰ってくると何日かは部屋に置いていたのですが、
すぐに「捨てよう」と思いたちました。
しかし人一倍世間知らず(今でもですが)の私は、
大きな石膏の塊をどのように処分してよいのか解らない。
そこで、手っ取り早く下宿の裏の階段の下に、
「チェさん」をそっと置き捨てて、しまうことにしたのでした。
それから数週間して
大家さんが自分の部屋にやってきて
「あの生首置いたのあんたやろ?下宿の人が皆めっちゃ怖がってるねん!
ちゃんと処分して!」
といって怒られてしまった。
それで自分は
「何も怖がらなくてもいいのに。何でおれってわかったんだろ」
とか思いながら「チェさん」を回収して、
それから最終的にどのように処分したのかは、よく覚えてはいません。
けっきょく何が言いたいのかというと
今考えたらあんな味のある造形をした真っ白い生首が下宿の裏口に置いてあったら
そら恐いわな!
という話。
今考えたらめっちゃ常識ないな!っていう。
何を思ってそんなことしたんやろうか?
しかし今にして思えばそれなりに味があっておもろい彫像だったかもとも思う。
ボロい下宿の裏は苔むしていて、ちょっと言い過ぎだけど三千院のお地蔵さんの様な趣もあったように思う。
せめて携帯ででも写真を一枚撮っておけば良かったと思う。
(当時は携帯にカメラも付いてなかった時代だし携帯持ってなかったけど)
いずれにしても
そんな私が、今でも常識はないけど、曲がりなりにも何とか社会で働いて生きているんだから
まあ立派なもんだよなハハハ。