写真と動画でつづる山と山以外

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立山日記5 室堂

室堂というところには、室堂平一帯を現す地名なのだけど

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立山室堂」という建物があって、「室」という字は部屋をあらわし
「堂」という字は宗教的な施設という意味合いを持っているらしい。
つまり「室堂」というのは、宗教的空間であると同時に、宿泊施設だという意味。

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これが、その室堂です。
日本最古の山小屋で、立山信仰登山の修験者が祈祷をしたり、宿泊したりするベースキャンプとなっていたそうな。(現在は重要文化財で博物館のようになっている)
室堂ってこの建物からきてる地名なのね。室堂は何回も来てるけど、今回はじめて知りました。

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その横には玉殿岩屋の看板が。
せっかくなので行ってみよう。

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なにやら崖みたいなところへやってきました。

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崖の下は窪んでいて、そこにお地蔵さんがたくさん祀ってあります。

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ちょっと不気味なところです。

玉殿岩屋は立山開山伝説由来の場所


越中の国守である佐伯有若の息子、16歳の佐伯有頼が、父の大切にしている白い鷹を勝手に持ち出して狩りをしていたところ

突然目の前に大熊が現れた。
驚いた白い鷹は遠くへ飛び去ってしまう。
鷹が逃げたことに怒った有頼は大熊めがけて矢を放つと、矢は大熊の左胸に見事突き刺さった。
熊は血を流しながら山奥へと逃げていき、有頼もその血のあとを追って何日も山中を歩いた。
やがて血のあとは山の奥深くにある岩屋にたどりついた。
岩屋の中からうめき声がするので、ついに追い詰めたと有頼がとどめをさしに岩屋に入っていくと
なんとそこには胸に矢の刺さった阿弥陀如来の姿があった
その場でひれ伏す有頼に如来
「白い鷹も、熊も立山の神の化身だったのだ。
わたしはこの立山に地獄と極楽を作った。
立山に登れば人々はいろいろな悩みから救われる。
しかしこの立山は人に知られておらず、登る道もない。
多くの迷える人を救うため、この立山を開くのだ」
と告げた。それ以来、有頼は弓矢を捨て仏門に入り、立山を開山したのであった。

という伝説の、如来がいた岩屋が上の写真の岩屋というわけ。


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さて、岩屋も見られたしテントの方へ歩こうか。

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室堂にはいくつか大きな池があります。

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その中でも一番大きく深いのがこのミクリガ池。

このミクリガ池にも伝説があります。


その昔ミクリガ池には竜が棲むと言われ、水面に投石すると竜が怒って大雨を降らせると言われていた。

ミクリガ池を通る人は恐れて石を落とさぬよう慎重に歩いたという。
ところがある日越前の国からやってきた小山法師という修行僧が
「こんな池はわが越前では百姓の種付池ていどのものだ」とあざけった
室堂の延命坊はこの言葉に憤慨し
「種付池だと申されるならこの池を泳ぐことなど造作もないことであろう」と言った
小山法師は口に短刀をくわえて池に飛び込み、池を泳いでぐるりと一周してみせた。
延命坊は
「短刀をくわえるのは池の主を恐れてのことか。越前では種付池を泳ぐに短刀をくわえて泳ぐのか」とからかった。
これを聞いた小山法師は短刀を捨て再び池にとびこみ、池の中を一周、二周と泳いだが、三周したところで突然なにかに足を引かれて水中に没してしまったまま上がってこなくなった。
はずみから出た己の言動を悔いた延命坊は
「命あらん限り鐘を打つ、鐘の音が途絶えたら、死んだものと心得よ。」と言って、塚穴にこもった。
鐘の音は三年間鳴り続け、途絶えたという。

という伝説で、坊様が池を三周したところから「三繰りが池」で「ミクリガ池」という名前がついたとかつかないとか。


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池の周りもトレッキングコースになっています。
池をみながらテント場へ帰る。

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朝通ってきた地獄谷が見えます。

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マイホーム(仮設)が見えてきました。ただいま!