写真と動画でつづる山と山以外

山に登ったり、登らなかったりします!

「劔岳 点の記」見てきました

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きのう、映画「劔岳 点の記」を観てきました。

ガチャピン氏の会社に山登りが好きな先輩がいるらしく、その人がガチャピン氏に「点の記」のチケットをくれたそうなのだけど
ガチャピン氏が先輩に僕の話をすると、何故か「その人にもあげてください。」と言って点の記のチケットを一枚くれたらしい。
そんなわけでガチャピン氏がどうぞ、と言って僕に点の記のチケットをくれるという不思議な事になった。

このチケットというのが、どこかのツテとかで先輩がタダでたくさん貰ったものを配っているのかと思ったら、どうもそうではないらしい。
封筒を開けるとちゃんと前売り券をサークルK(コンビニのこと)で買ったものである。

なんで買ったものをタダでくれるのだろうか?
その人は、わざわざチケットをたくさん買って人に配ってまわっているのだろうか?不思議な人である。

何にしてもタダでいただけるものはもらっておかなければ。
タダよりタダなものはない、なのです。

ガチャピン氏がチケットをもらうとき、先輩に「そのかわり山の写真を撮ってきてください」と言われたそうだが、元よりそのつもり。
北アルプスで撮った写真をいくつかプリントして、ガチャピン氏に渡してもらうことにしよう。


ところ点の記ですが、撮影現場を目撃してからというもの、京都へ帰って原作本を読みましたが
「こ、こんな地味な話を映画にしたら、とんでもなく地味な映画になるのでは!?」
と思ってましたが、いざ映画を観てみると
「とんでもなく地味な映画だ!」

なんだか「昔な感性の人が作った映画」という感じで、キャストが松田隆平とか浅野忠信とか、今風の役者が出てなかったら現代の映画だと気がつかないような古臭さ。
古臭いというのは、まあ悪口を言っているわけではありません。

今の映画やドラマは大概が、「ハリウッド的ノリ」を踏襲していると言えると思うのです。
たとえば、映画のなかで無言で意味深な表情を浮かべた役者の顔を映したカットがはさまれると、それは
「この人は何かたくらんでいるな」とか「この人は何かを隠しているな」
とかいった様な意味を持つ記号になっていると思います。

そういう現代映画の「お約束」が無い感じなのです。
「あれ?今のカットはすごい意味有り気だったけど、意味ないの?」みたいなシーンがたくさんありました。
それによって緊迫感がなく、全体的になんとなくほのぼのした感じの映像になっていて、ある意味リアルで良かったです。

でもこの映画、ぜったい若者にはヒットしませんね。断言できますが。
というかそもそも若者は観に来ないらしい!
映画館で、どんな人が観に来てるんだろ?客を見てみると、若者が一人もいない!
なおかつ年取った人ばかりで満員になっててビックリしました。

こんな平均年齢の高い映画館見たことない。
そんなわけでこの映画は、若い人の場合「山登りが好きだ!」という人以外にはオススメできない映画のようですね。浅野忠信とか出てますが。

でも、山登り好きにはたまらない映画です。静かに熱い!静かにドラマチック!

映像も凄くて、北アルプスの山々が超・大迫力です。
観てると今すぐにでも北アルプスへ行きたくなりました。

そうそう、ガチャピン氏と協議の結果、来月の北アルプスは「針ノ木岳」へ登ることに決定しました。
今年も夏山の季節がやってきたと思うと、ワクワクがとまりません。


写真は、関係ありません。